大日靈貴神社(大日堂)について
由緒
当社の創建は、およそ千五百年前の継体天皇の十七年(西暦五二三)とされております。だんぶり長者の伝説に由来するもので、長者の娘が継体天皇の妃(吉祥姫)となり、その方の願いから勅願により建立された社を創祀とします。
その後、元正天皇の養老二年(七一八)勅命により、名僧行基に伴われ下向した工匠が、現在の様な堂舎を建立し、その祝賀の式に舞楽が奏されました。これが、里人に伝承され、毎年正月二日の養老礼祭に行われている大日堂舞楽です。
平安時代末期には、平泉の藤原秀衡の命により、社殿の大改修が行われたと伝えられています。奥州鹿角の大日堂として、広く信仰されて来ましたが、幾たびも災難に見舞われたため判然としません。ただ、鎌倉時代末期の正安二年(一三〇〇)に奉納された阿弥陀三尊の板碑が現存し、当社と密接に関連する場所にも同年代の板碑を確認する事が出来ます。
室町時代末期には、南部氏の庇護を受ける様になり、社領や舞楽を伝承するための祭田、広大な山林も安堵されていました。
明治維新により、これらの経済的基盤を失う事になりました。神仏分離令を受けて神社に復し、古来の伝承に基づき大日靈貴(おおひるめむち)神社と改称して現在に至ります。